V・プレミアリーグ男子 2009/10

チームの歴史

社内のバレーボール好きが集まって大阪府の大会に出場するようになったのをきっかけに、1952年に創部。全国大会に初めて出場したのは、翌年の全日本実業団選手権で、初優勝は1956年の全日本総合。当時の中心選手は板橋知義、吉田昌博ら。

1964年の東京オリンピックには森山輝久を送り出し、チームも全日本選手権(当時は、都市対抗)、全日本実業団、国体、全日本総合の国内の四大タイトルを独占する快挙を成し遂げている。

「東の鋼管、西の松下」と言われた日本リーグの初期には、第1回リーグから出場し4年連続準優勝、第5回リーグで念願の優勝を飾った。木村憲治、野口泰弘、横田忠義らを平岡哲男が操るみごとなコンビバレーが注目を集めた。

しかし、翌年の2位を最後にVリーグが始まるまで、第17回リーグの3位を最高に、三度の実業団リーグ(旧V1リーグ・現チャレンジリーグ)落ちを経験するなど低迷。

Vリーグになってから、第1回大会ではセット率の差で7位となり、入替戦に回ったが、残留。以降は第2回大会6位、第3回大会5位と徐々に成績を上げ、第4回大会では3位に躍進した。以後、第5回大会で4位となったが、第6回、7回、8回大会と3シーズン遠続の6位と低迷が続いた。

第9回、10回、11回大会は、ベテランセッタ一真鍋政義の加入や、全日本のスーパーエースの山本隆弘、ブロック賞の北川祐介らの活躍で、ファイナル進出を果たし、3位、3位、4位と健闘し、古豪復活の兆しを見せた。

第12回大会では、最後まで熾烈なファイナル進出争いを演じたが、惜しくもならず5位にとどまった。

しかし、2006/07シーズンでは再び4強入りを果たし、3位と粘りを見せた。

南部正司が就任した2007/08シーズンは、サントリー、東レと三つ巴となったセミファイナルをセット率の差で抜け出すと、決勝戦で東レを撃破、Vリーグになってからは初、前身の日本リーグ時代を含めると1971年の第5回大会以来、実に36年ぶりとなる優勝を果たした。

2008/09シーズンは、大物新人の福澤達哉、清水邦広を内定選手として獲得し、福澤は期待に応えて最優秀新人賞を受賞したが、チームは4位にとどまった。

福澤、清水がレギュラーに定着した2009/10シーズンは、セッター宇佐美大輔が操る変幻自在かつ破壊力抜群の攻撃力で他チームを圧倒し、王座を奪還した。このシーズンは、天皇杯、黒鷲旗も制し、3大大会優勝(3冠)を達成した。

連覇の呼び声が高かった2010/11シーズンは、序盤戦でなかなか波に乗れず、終盤に来て何とか4位と持ち直したものの大震災による大会打ち切りで、悔いの残るシーズンとなった。

全日本に6人を送り出す豪華な顔ぶれは、2011/12シーズンも優勝候補の筆頭である。4位にとどまった前シーズンの汚名は必ず返上しなければならない。

年表

年度 できごと
1952年(昭和27年)

バレーボール愛好者が集まって創部

1956年(昭和31年)

全日本総合選手権優勝(初の全国制覇)

1957年(昭和32年)

第6回都市対抗(黒鷲旗)準優勝。第7回、第11回も準優勝

1964年(昭和39年)

第13回都市対抗(黒鷲旗)優勝

東京五輪に森山輝久が出場(銅メダル)

この年、全日本実業団、国体、全日本総合でも優勝し国内4冠達成。

1966年(昭和41年)

第15回都市対抗(黒鷲旗)2度目の優勝

第17回、第18回、第22回と優勝。準優勝も多く黄金時代を築いた

1968年(昭和43年)

メキシコ五輪に木村憲治、横田忠義が出場(銀メダル)

1971年(昭和46年)

第5回日本リーグ優勝

1972年(昭和47年)

ミュンヘン五輪に木村憲治、横田忠義、野口泰弘が出場(金メダル)

1976年(昭和51年)

モントリオール五輪に横田忠義が出場

1981年(昭和56年)

第30回都市対抗(黒鷲旗)で8年ぶり6回目の優勝

1995年(平成7年)

第44回黒鷲旗準優勝。第46回大会も準優勝

1998年(平成10年)

第47回黒鷲旗優勝(17年ぶり7回目)

2007年(平成19年)

2007/08V・プレミアリーグ優勝(36年ぶり2回目の優勝)

2008年(平成20年)

第57回黒鷲旗優勝

北京五輪に山本隆弘、宇佐美大輔が出場