V・プレミアリーグ男子 2009/10

チームの歴史

1973年4月創部。翌年、初参戦の実業団優勝大会で優勝し、実業団リーグ(旧V1リーグ・現チャレンジリーグ)入りをかけた入替戦でも勝利、実業団リーグ昇格を果たす。翌年、第6回リーグは準優勝。入替戦を得点率の僅差で突破、創部わずか2年で日本リーグ(現プレミアリーグ)へ昇格した。

初参戦の第9回リーグでは4位を記録するが、第10回リーグでは1勝9敗と最下位に低迷、実業団リーグ降格となる。再び日本リーグに返り咲いたのは1979年の第13回リーグ。この年の全日本選手権(都市対抗)では、決勝で日本鋼管をフルセツトの末下し、チーム結成以来初の全国優勝を果たした。

第13回からは日本リーグに定着し、1984年の第18回リーグで準優勝。1990年の第24回リーグでは6年ぶり2度目の準優勝を果たした。

Vリーグになった第1回大会で、宿願のリーグ初優勝を果たし、名誉ある初代チャンピオンの名を残すことになった。その年には、黒鷲旗全日本選手権でも優勝(4度目)した。
第2回大会から第4回大会は3年連続の4位に終わるが、第5回大会で3位に浮上。第6回大会では、桑田美仁監督の下、主砲・ジルソンを中心に5年ぶり2度目の優勝を果たし、その年の全日本選手権において5度目の優勝。また、この年実施したVカップでも優勝を果たし、3冠を達成した。

第7回大会では、MVP連続受賞のジルソン、萩野正二、清水雅之、佐々木太一等のベテランと若手の活躍で創部以来初の連覇を達成した。2連覇の後、チーム監督を引き継いだ鳥羽賢二監督の下、以後、第10回大会まで、王座を譲らず、日本リーグ時代に富士フイルムの記録に並び、Vリーグとしては前人未到の5連覇(6回目)を達成した。

6連覇のかかった第11回大会は、鳥羽よりバトンを受けた山本和史監督の下、ブラジル人コーチ、カルロス・オリヘヴェイラを招聘し、チーム革新を図った。序盤の連敗が響き、第1回大会から続けていたファイナル進出も逃がす5位にとどまった。

雪辱を期して臨んだ第12回大会は、見事レギュラーラウンド1位通過を果たしたが、ファイナルで、堺ブレイザーズとの死闘に敗れ、準優勝に甘んじた。

2006/07シーズンは、すっかり中心選手となった感のある越川優の活躍やベテラン荻野正ニ、栗原圭介らの安定したプレーで3シーズンぶり7度目の優勝を果たした。

2007/08シーズンでも予選ラウンドを1位突破したが、セミファイナルで敗れ3位、翌2008/09シーズンも同様の展開で4位、と結果が伴わない残念なシーズンが続き、2009/10シーズンは、ついに4強入りも逃がした。

40歳まで現役を務めた荻野が引退しヘッドコーチに就任した2010/11シーズンは、序盤から好調に勝ち進み、中盤で堺に首位を譲ったが、2位で大会を終えた。

選手との対話を重視する若い荻野監督のもとで、再び常勝軍団となることを目指している。

なお、2010/11シーズン開幕直後に達成したVリーグ通算250勝は、男女通じて初の快挙である。

年表

年度 できごと
1973年(昭和48年)

岡野昌弘らが中心となってチーム創設

ミュンヘン金メダリストの大古誠司が日本鋼管から移籍

1975年(昭和50年)

日本リーグ昇格(第9回リーグ)

1976年(昭和51年)

モントリオール五輪に大古誠司が出場

1979年(昭和54年)

第28回都市対抗(黒鷲旗)優勝

1985年(昭和60年)

第34回黒鷲旗優勝

1986年(昭和61年)

第35回黒鷲旗準優勝

1991年(平成3年)

第40回黒鷲旗優勝

1992年(平成4年)

第41回黒鷲旗準優勝

バルセロナ五輪に大浦正文、荻野正二、河野克己が出場

1994年(平成6年)

第1回Vリーグ優勝

1995年(平成7年)

第44回黒鷲旗優勝

1999年(平成11年)

第48回黒鷲旗準優勝

第6回Vリーグ優勝。 以後第10回Vリーグまで5連覇

第1回Vカップ優勝

2000年(平成12年)

第49回黒鷲旗優勝

2006年(平成18年)

2006/07V・プレミアリーグ優勝

2008年(平成20年)

北京五輪に荻野正二、山村宏太、津曲勝利、越川優が出場