バレーボール Vリーグ オフィシャルサイト

7/22(日)開催!チケット発売中!神谷コーポレーション湘南株式会社presents V.LEAGUE サマーフェスティバル2018 inお台場ビーチ ~夏祭りから始まるVへの挑戦~

2017-18 V・ファイナルステージ | ブランデージ・トロフィー物語

Vリーグ ファイナルステージ2017/18

V・ファイナルステージ

V・ファイナルステージ トップへ戻る

f_history.png
f_story1.jpg

ブランデージ・トロフィー

V・プレミアリーグの優勝チームだけが手にすることを許される“栄光の証し”。この芸術作品は、1964年の東京オリンピックにおける男女バレーボールの大成功を受け、67年に『第1回全日本バレーボール選抜男女リーグ』の名称で日本リーグが産声を上げた際、当時国際オリンピック委員会の第5代会長だったブランデージ アベリー氏から、日本バレーボール協会が譲り受けたものである。

日本リーグ創立前夜

9人制バレーボールで育った日本のバレーボール界に、6人制を採用することは、生易しいことではなかった*1。そこにタイミングよくオリンピック東京大会というスポーツ界最大もイベントが実現。日本バレーボール協会の6人制推進関係者たちはこれを旗印とし、かなり強硬な手段をとった。

(実施種目を)20種目に削減という一つの山場*2もあったが、1961年アテネIOC(国際オリンピック委員会)総会で、男子バレーボールはオリンピック史上、初めて登場することが決定した。

しかし、女子バレーボールはこの時は問題にもされなかった。それは、オリンピック憲章*3にも入っていないという、厳にして何人がどうすることもできない規則による事実からであった。だがわれわれは、あえて一つの信念のもとに、女子もオリンピック東京大会で実現するのだという前提で国内体制を固め、強力にこれを推し進めていった。いわゆる、常識的に言えば無謀に近いギャンブルにでたわけだ。それは男女一方のみという行事執行ができないということもあったが、女子をも6人制に食いつかすためには、取らざるをえない手段でもあった。つまり背水の陣をしいたのである。

アテネ総会で一敗後、必死になって『オリンピック東京大会に女子バレーボールの実現』をモットーとしてあらゆる方向への運動を展開した。ブランデージ アベリー IOC会長と種々の折衝を持ったのもこの頃からである。

昭和37年(1962年)3月初旬のIOC理事会は、われわれのこのような運動にもかかわらず、団体ゲームに許された16チームを男子10、女子6に分けて行う案を否決した。ブランデージ会長の心境に、もしその後、変化を招かなかったなら、モスクワIOC総会で女子バレーボール問題は議題にものぼらなかったであろう。

「憲章にないものをやらせてほしい」ということ自体、筋の通らない無理難題であることを当のわれわれも十分承知していたのであった。

折にも折、そのIOC理事会と行き違いになっていた、ブランデージ会長宛に協会関係者から送った切々たる哀願のアピールに対して、ブランデージ会長から「女子バレーボール問題はモスクワ総会でとにかくとりあげよう」と好意的な返事がもたらされたのである。

この当時から、執行部はオリンピック後の6人制普及対策として、日本リーグ的な構想を描き、もし男女実現の暁は、ブランデージカップといった名称の検討も理事会での話題として考えられていた。

モスクワ総会では最終的に、会長自身が「女子バレーボールの採用は、日本全国民の声」として採択へのイニシアチブをとってくれた。この事実は、いまや広く知られるところである。そして、女子バレーボールが採用され、日本にブランデージ・トロフィーが寄贈されることとなったのだ。

IOC会長が異例のトロフィー寄贈 いよいよ日本リーグ創設へ!

ブランデージ・トロフィーのいただき方について、当初はオリンピックの最終日に、ブランデージ会長自身よりトロフィーを受け取ると同時に、われわれの感謝の意を示すような演出も考えないでもなかったが、その実現性は低いと判断した。

加えて、このトロフィーをもらう企画はまったく一般通念と逆のものでもあるだけに難しさがあった。お世話になった人にお礼をするのが常識だが、いかにスポーツ界のこととはいえ、お礼どころか逆のものをくださいというのだから。かといって名前だけ拝借するのも価値がない。

たまたまマドリードIOC総会で、女子バレーボールのメキシコ大会での実施が決定したあとの昭和40年(1965年)11月に来日された際、多忙な日程に割り込んで親しく懇談させていただく機会を得たときに、女子バレーボールはすでにオリンピック憲章に入れられているとのわれわれの解釈の正否をただすとともに、思いを固めて日本リーグの計画について伝え、トロフィーをご寄贈くださるよう懇請申し上げた。

われわれ側の趣旨として、次のような説明を行った。

男女のバレーボールがオリンピック東京大会で初めて採用されたということを記念する
男女バレーボールのオリンピック東京大会実施は、ブランデージIOC会長の、この競技が日本国民全般から強い関心を持たれているものであることを察知された、親日感情の表れであったことを永久に残す
オリンピック東京大会における、女子優勝、男子3位という両種目入賞の赫々たる栄光に対するあの感激と、ブランデージ会長の行為を結びつける
ブランデージ・トロフィーを通じ、オリンピック精神を高揚し、アマチュアリズムを関係者に意識させる
日本リーグ開催の趣旨は、オリンピックにつながるトップの強化と底辺の普及にあり、ブランデージ杯リーグといった愛称から、常にこの両者の関連性への配慮が要求されるようにする

もちろんIOC会長という立場から、一国の一種目の競技にトロフィーを出すといったことは、先例ともなれば大変なことになる。だから、即答は得られなかった。それでも昭和40年(1965年)12月31日付で、承諾の回答を得ることができた。

当初42年(1967年)1月に日本リーグ開幕を予定していたので、41年(1966年)10月、ペルーで行われることになっていたバレーボール世界選手権女子大会に参加の際、役員を派遣して受けとることにしていた。しかし相次ぐ予定変更と、日本リーグの開幕延期といったことから、このほど5月13日の開催に間に合うようにと、イタリアから航空便でお送りいただいたというわけである。

ブランデージ会長の書簡に、バレーボールが大衆に浸透した中で高度化され、高い評価を受けている国において、このトロフィーがバレーボール競技と結びつくことは喜ばしいといった意味のことが書かれていた。ブランデージ会長との今日までの接触から、このトロフィーの寄贈先は、バレーボールを愛する日本国民であって、日本バレーボール協会は単なる窓口であるといった感を深くしている。そのご好意に報いるためには、日本リーグを単にトップの強化に終わらしめることなく、大衆の中に生かされなければならないと思うものである。

*1 日本では当時の9人制バレーが主流であり、6人制が主流の世界とは異なる発展経過をたどっていた。6人制が注目を浴びるようになったのは、全日本女子が60年の世界選手権ブラジル大会で銀メダルを獲得した以降のこと。

*2 東京オリンピックではバレーボールを含む22種目に実施の可能性があったが、IOCはそれを20に削減する実施案があった。

*3 IOCが定める規約。ある競技がオリンピックで開催されるためには、この憲章に記載される必要があるが、61年時点では、IOC総会で全競技への女子参加は否決された。

(日本バレーボール協会理事長を務めた今鷹昇一氏が同協会機関誌『バレーボール』1967年6月号に寄稿した、『ブランデージ・トロフィーについて』と題された手記より)